復活話

吉井さんがツアーファイナルのラストにイエモンの「バラ色の日々」を唄ったって言うので、色々思うことがあったので書きますね。やっぱし当時からのファンは複雑なんだろうなぁ。何でやるんだよー、って言う意見が多いみたいだし。ましてアンコールのラストで。やってくれるのは嬉しいけど、吉井さんは吉井さんイエモンイエモンで区切りをつけて欲しい気持ちは解らんでもないが。多分ガクトがマリスの曲歌ったり、河村がルナシーの曲歌ったり(そういやINORANはgravity唄ったんだっけ?)したら「ふざけるな意味が解らん、唄うな」って思うんだろうけど、前哲さんが「バンドンが解散するとそのバンドの歌が二度と唄えなくなるって言うのが俺は嫌で〜」見たいな事を言っていて、やる側としてはやっぱり苦労して作った自分の歌は歌いたいものなのかなぁ、って思うとその気持ちも解らない物でもないよなって言うのがあって。でも、やっぱり歌って欲しくないなぁ、って思うのは自分は過去のマリスもルナシーブランキーイエモンもジグゾも見てこなかった人間だからやって欲しい気持ちはあるんだけど、どんなに頑張ったって自分の求める(見たい)過去のその人たちを再現するのは到底不可能は訳で、やってくれたところで「もう二度と過去には戻れないんだなぁ」と痛感するだけで「過去は二度と戻らない」って再認識するだけどだと思うから(実際哲ソロでのジグゾは複雑だったしね)、過去はもう過去に置いてきて今は今を生きて欲しい気分なんだよなぁ。ガクトはガクトであってもうマリスではないんだし、ベンジーベンジーでもうブランキーではない。他もそうだし。だから、いろんな人が「復活希望!」とか言ってるけど、中途半端に過去を引きずった形で出てこられてもどうせ、幻滅して上のことのループだろうなぁ、って思うんだよなぁ。そりゃ昔は戻ってきて!とか本気で持ってたけどさ、ここ数年で色々と感覚が変わってきた。ただ、今が極端に理解不能なことやってる人見るとと「昔は良かったなぁ」とか思っちゃうんだけれどもね(苦笑)
でもなんでバラ色の日々だったんだろう。
〜追記〜
でもまぁ、セルフカバーについて思ったんだけど今ガクトがマリスとかやったら賛否両論なんだろうけど、今オーケン筋少の曲やっても大した事ではないよなぁ・・・(特撮は筋少の延長みたいな物なんだろうけどさ)。何がいいたいかって言うと時がたったら気にしなくなるかなぁ、って。どんな事も時が経てば解決するかなぁって。もし今から10年後吉井がソロでイエモン唄った所で、リスナーは今みたいに騒がないだろうし。
でもよくよく考えたら筋少解散からそんなに長い歳月が経ってるわけでもないことに気付いた。人によるのか?(笑)
〜再追記〜
これ書いた後色々考えて「なんで解散したバンドの曲をやると複雑なんだろう?」って。で、考えた結果ひねり出した答えが、どんな問題があろうと、どんなに苦悩したとしてもファンを悲しませてまで解散したんだから、その代償としてそのバンドの曲たちは過去に置いて行けって思うからかなぁ。バンドは終った(無理矢理終らせた)んだから曲たちも過去に置いていけと。↑のファンを悲しませて〜のくだりは「はぁ?」って感じかもだけど、実際何が悪くて解散したかとかうやむやにして消えていくバンドばっかだからね。「音楽性の方向性の違い」って言う解散時の決まり文句があるけど、実際それも無きにしも非ずなんだろうけどやっぱりファンとしてはどんなにメンバーの関係がドロドロしてようと真相を知りたいわけだからね。(察しがつく場合もありますが)。ただ、これ書いてたらなんかどうでも良くなったんだけどね(笑)先々週のnilのWALKが複雑だったか?って聴かれたらそうでもなかったし(笑)あぁ、色々矛盾してんなー。